卒母という言葉を聞いたことがありますか。
子どもが独立して手がかからなくなった状態を、卒業に見立てた言葉なんですよね。
やっと自分の時間が戻ってくるとか、これからは好きなことができる、そんなニュアンスで使われることが多いですよね。
でも実際にそのタイミングを迎えた女性から聞く話は、おめでとうだけじゃないことが多いんです。
私の友人も、昨年の春に末の子が上京してから、なんとなく気持ちが落ち着かないと言っていました。
仕事も続けているし、特別に何かが変わったわけでもない。
なのに、夕飯を作ろうとして「あ、ひとり分でいいんだ」と気づいたとき、なんか泣けてきた、と。
なんで泣いてるんだろう、やっと自由になれたのにと自分でも不思議だったみたいです。
この感覚、同じように抱えているアラカン世代の女性がとても多いことがわかりました。
そこで、卒母後の寂しさの正体と、そこからどう気持ちを立て直していくかを調べてみることにしました。
なぜ卒母後に寂しくなるのか、その寂しさはどこから来るのか、そしてどうすれば前を向いていけるのかを紹介していきますね。
卒母で寂しさを感じるのは自然な変化

子どもが巣立った後、家の中がしんとする感覚、経験した方はよくわかると思うんですよね。
毎朝交わしていた行ってらっしゃいがなくなる。
帰りの時間を気にしながら夕飯を作ることもなくなる。
夜、リビングに誰かの気配がなくなる。
そういう小さなことが積み重なって、静かになったなという実感が、ある日突然やってくるんですよね。
毎日の会話が減ることで気づく日常の重さ
子育て中、特に意識していなくても会話はそこにありましたよね。
今日どうだったとか明日弁当いるのとか、そんな他愛のない言葉のやりとりが、一日に何度もあった。
それが急になくなると、家の中の空気がずいぶん違って感じられます。
友人も、子どもがいなくなってからひとりで声を出す機会がこんなに少ないとは思わなかったと言っていました。
一日中、誰ともほとんど話さない日があることに、あらためて気づいたと言うんですよね。
食事の準備が減るときのなんとも言えない感じ
夕飯の量を減らすのが、思った以上に気持ちにこたえるという話もよく聞きます。
長年、家族の分を考えて食材を買い、献立を考えてきた。
それがひとり分でいいになったとき、料理の手間が減る嬉しさよりも先に、なんとも言えない虚しさが来る。
スーパーでいつもの量をかごに入れかけて、途中で手を止めてしまうことも。
母親役の終わりは突然やってくる
お母さんという役割は、気づかないうちに生活のあらゆるところに染み込んでいたんですよね。
子どもの体調を気にする、進路を心配する、帰りが遅ければ連絡を入れる。
そういう誰かを案じる日常が、ある日からぽっかりなくなる。
役割が終わったとき、それが喜ばしいことだとわかっていても、どこかぽかんとした感覚が残るのは自然なことだということ。
20年以上にわたって続いてきたものが終わるのだから、それは当たり前のことなんです。
バツイチだと余計に静かになる
パートナーがいない状態でひとり親として走ってきた場合、子どもが唯一の一緒にいるだったという方も多いですよね。
子どもがいれば、それだけで家が誰かとともにいる場所でした。
それが変わると、静けさの種類がまるで違う。
孤独というほど大げさじゃないけれど、ひとりの重さがずしりとくる、そういう感覚を抱えている方がとても多いんです。
寂しさの正体は子どもではなく役割の空白

卒母後の寂しさについて調べていくと、興味深いことがわかってきました。
多くの方が子どもがいなくて寂しいと表現するのですが、よく聞いていくと子どもそのものへの寂しさというより、自分がこれまで担ってきた役割がなくなったことへの喪失感が大きいみたいなんですよね。
世話をする目的が消えた
子育て中は、誰かのために何かをするという目的が常にそこにありました。
ごはんを作るのも、洗濯をするのも、家を整えるのも、それが誰かの役に立っているという実感と一緒だった。
その目的が消えると、同じ家事をしていてもこれは何のためにやっているのだろう、という感覚が生まれることがあるんですよね。
生活リズムが崩れやすい
子どもがいるあいだは、子どもの生活リズムが自分のリズムにもなっていましたよね。
起きる時間、食べる時間、寝る時間。
そういう決まりが自然とそこにあった。
それがなくなると、いつ何をしてもいい自由になるわけですが、最初はその自由がかえってしんどかったりするんですよね。
何時に起きても誰も困らないとわかっているのに、なんとなく気力が出ない朝が続くという話もよく聞きます。
誰かのためにがなくなる
人間にとって誰かの役に立っているという実感は、思っているより根本的な幸福感の源なんですよね。
それが子育てという形で20年以上続いてきたとしたら、その終わりに戸惑うのは当然のこと。
必要とされることがなくなったとき、自分の存在意義がふわっと宙に浮く感覚があったりする。
友人も、じゃあ私は何のために毎日動いてるんだろうって、ふと思ったそうです。
家に意味を感じにくくなる
子どもがいるあいだ、家は帰ってくる場所でした。
子どもが帰ってくる、ごはんが待っている、家族がそこにいる。
それが変わると、ここは誰の家なんだろうという感覚を、卒母後に初めて持つ方は少なくないみたいです。
広さは変わっていないのに、どこか居場所がない気がすると言う方もいます。
空いた部屋を見るたびに気持ちが戻る理由

卒母後、家の中で一番気持ちが揺れる場所が、子ども部屋だという話はよく聞きます。
ドアを開けるたびに、子どもがいた頃の記憶がよみがえってくる。
本棚に並んだ教科書や壁に残ったポスターの跡、ベッドの上のぬいぐるみ。
そのままにしてあるほど、時間がそこで止まってしまうんですよね。
子ども部屋が記憶の固定装置になっている
空間って、思っている以上に気持ちに影響するものなんですよね。
前の暮らしの記憶を呼び起こす装置になってしまっている部屋があると、なかなか気持ちが今に戻ってこない。
毎日そこを通るたびに、過去に引っ張られてしまう。
友人の子ども部屋も、子どもが出ていってから一年近く経つのに、荷物がほぼそのままになっているそうです。
片付けたら、もう来ないみたいで嫌なんだよねと言っていました。
その気持ち、すごくよくわかるんですよね。
片付けられないのは意志が弱いからじゃない
片付けが進まないことに自己嫌悪を感じる方もいます。
でも、片付けられないのは意志が弱いからじゃなくて、手放すことが感情的に重たいから、ただそれだけなんですよね。
全部を一度に片付けなくていいんです。
まず自分が一番長くいる場所だけ、好きな植物を置いてみるとか、ずっと使いたかったカップを出してみるとか、それくらいでいい。
友人は、子ども部屋のカーテンを自分の好きな色のものに変えたとき、カーテン変えただけなんだけど、なんか部屋に入るのが楽しくなったそうです。
空間が変わると、気持ちも変わるということが、そのひと言からよくわかりますよね。
一人時間を前向きに変える小さな習慣

卒母後、ひとり時間が増えることへの不安を感じる方は多いみたいです。
子育て中はひとりになりたいと思う瞬間が何度もあったはずなのに、いざひとりになってみると、しんとした部屋が怖くなる。
テレビをつけっぱなしにしていたり、スマホをやたら見てしまう。
そういう話はよく聞きます。
これは、ひとり時間が嫌いなんじゃなくて、ひとり時間の使い方を知らないだけなんですよね。
ずっと誰かに合わせて生きてきたのだから、自分のためだけに時間を使うことに、最初は慣れなくて当然。
朝散歩で一日の始まりを自分のものにする
朝、近所を20〜30分ぶらぶらと歩くだけで、一日の気持ちがずいぶん違うという話はよく聞きます。
目的地も必要ないし、距離も関係ない。
友人も散歩を始めてから、特に何かをしているわけじゃないんだけど、帰ってきたときに気持ちがすっきりしてると言っていました。
子育て中は誰かのスケジュールで始まっていた朝が、自分のペースで始まるようになる。
おそれだけで、一日の重心が変わってくるんですよね。
お茶時間で自分のためのひと息を作る
好きなお茶を一杯入れて、なにも考えずにただそれを飲む時間。
たったそれだけのことですが、この時間は自分のものという感覚の積み重ねが、ひとり時間への苦手意識を少しずつ和らげてくれます。
ずっと使いたかったカップを出してみたり、好きな産地の茶葉を買ってみる。
そういう小さな自分へのこだわりが、ひとり時間を豊かにする入口になるみたいなんですよね。
図書館と一人ランチで外への小さな一歩
図書館はひとり時間の練習にとても向いている場所で、静かでひとりでいることが自然で、時間を気にせずいられる。
近所のカフェにひとりで入ることを週に一回の習慣にし始めた友人も、最初は手持ち無沙汰でスマホばかり見てたんだけど、本を持って行くようになって、なんかちゃんとひとりを楽しんでる感じがすると言っていました。
スマホから本になっただけで、ひとり時間の質が全然違って感じられるみたいなんですよね。
卒母は寂しさではなく人生後半の再設計

ここまで卒母後の寂しさについていろいろと見てきましたが、最後に少し、私自身が感じていることをお伝えしたいと思います。
アラカンという言葉には、以前はどこかもう後半戦というニュアンスがあったかもしれません。
でも今は人生100年とも言われる時代で、60代はまだ30〜40年あるスタートラインでもある。
子育て中は子どものために暮らしを最適化してきた。
これからは、自分のために暮らしを最適化していく番ということですよね。
今さら変わらなくてもいいという気持ちと、まだ変われるという気持ちが同居しているのが、このフェーズの特徴な気がします。
どっちも本当だから、矛盾してなくていい。
友人も最近、少しだけ顔が明るくなってきた気がします。
週一のカフェの話をするとき、なんかね、最近は今日どうしようって考えてる自分が出てきた気がすると言っていて、なんか楽しそうなんです。
子育て中はずっと将来のためにで生きてきた。
その先にある今日がやっと戻ってきたんじゃないかな。
このサイトでは、卒母後の女性が新しい暮らしを組み立てていくための話を、これからいろんな角度から書いていきます。
部屋の整え方、ひとり時間の過ごし方、茶飲み友達の見つけ方、住み替えの考え方。
こうしなさいという正解を押しつけるんじゃなくて、一緒に考えていく場所にしていきましょう。
まとめ
今回は、卒母後に寂しさを感じるのはなぜなのか、その寂しさの正体はどこにあるのか、そしてどう気持ちを立て直していくかを調べてみました。
毎日の会話が減り、食事の量が減り、母親役が終わり、バツイチだとなおさら家が静かになる。
卒母後に寂しさを感じるのには、そういう日常の変化がいくつも重なっているということがわかりました。
そしてその寂しさの正体は、子どもへの寂しさだけじゃなくて、世話をする目的、生活リズムの軸、誰かのためにという動機、家に感じていた意味、そういった役割の空白から来ていることが多いということもわかりました。
空いた部屋や残った物は、気持ちを過去に引き戻す装置になりやすいので、カーテン一枚からでいいから今の自分のための空間に変えていくことが、気持ちの整理にもつながります。
ひとり時間については、嫌いなんじゃなくて使い方を知らないだけ、と気づくことが大事で、朝散歩やお茶時間など、小さな習慣を一つずつ積み重ねていくことでだんだん豊かになっていきます。
卒母は寂しさの始まりじゃなくて、人生後半の再設計のスタートライン。
急がなくていいし、全部を変えなくていい。寂しいままで、少しだけ動いてみる。
その積み重ねの先に、今日の自分のための暮らしが少しずつ見えてくるんじゃないでしょうか。

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