住まいのことをじっくり考えてきた時間が、ひと区切りついた気がするというアラカン女性から、最近こんな声をよく聞くんですよね。
家は整ってきたけど、でも何か少し物足りないような気もすると。
家が嫌いなわけじゃないし、むしろ好きで自分の空間を丁寧に整えてきたのに、ふとした瞬間に息苦しさのようなものを感じるという感覚を、おかしいと片づけてほしくないんですよね。
家が好きだから閉塞感がない、というわけじゃないんです。
この記事では、外出を増やそうとか、ソロ活を始めようとか、そういう話ではなく、家以外にも自分が落ち着ける場所があっていいという考え方を、一緒に整理していきます。
家が好きでも家だけだと息苦しくなることがある

住まいの見直しを終えた後、多くの人がまず感じるのはようやく落ち着いたという安堵感です。
片付けが進んで、家具の配置も自分にしっくりくるようになって、毎日の生活が少し軽くなったというのは、大切な変化なんですよね。
ただ、しばらくすると別の感覚が出てくることがあります。
家にいると安心するけど、毎日同じ景色しか見ていないし、誰かと会う約束があるわけでもないという日が続くと、気づかないうちに視野が少しずつ狭くなっていくんです。
孤独でも退屈でもないのに、どこか詰まった感じがする
これ、孤独とは少し違う感覚なんですよね。
一人でいることが嫌なわけじゃないし、誰かに会いたいとも思っていないから退屈というのとも違う気がするし、本を読んだり好きなドラマを見たりやることはあるんだけど、なんとなく詰まった感じがするという状態です。
空気が動いていない部屋にずっといると、気温は快適でも少し息が詰まってくることがあるので、それに近い感覚なんですよね。
家という空間が悪いんじゃなくて、同じ空気だけを吸い続けているということ。
閉塞感というのは、不満からではなく、変化のなさから生まれることが多いんです。
住まいが整ったあとに起きる静かな変化
片付けや住まいの見直しをしている時期というのは、それ自体が毎日の変化でした。
今日はあの棚を整理した、先週は引き出しを全部出した、来月は引っ越しを考えているなど、動いていることが暮らしに流れをつくっていたんですよね。
それが落ち着くと、ふいに静止するような感覚があります。
やるべきことが終わったという達成感と、次に何をすればいいのかわからない、という宙吊り感が同時にやってくる。
これは住まいの話に限らず、子育てが一段落した時や、仕事のペースが落ちた時にも起きることで、何かを成し遂げた後にこそ、この静けさが来るんですよね。
もっと外に出なきゃと思う必要はない
閉塞感を感じた時に、反射的に外に出なきゃと思う人が多いですが、その発想がまたプレッシャーになることがあるんです。
外に出るには理由が要る気がする、どこへ行けばいいかわからない、一人で出かけるのも少し億劫、そういう気持ちが重なって、結局家から出られずにいる。
焦る必要は、ないんですよね。
閉塞感があるということは、少しだけ外の空気を求めているサインではあるけれど、だからといってすぐ行動しなければいけないわけじゃないので、まずはこの感覚を家が嫌いになったわけじゃない、ただ空気を変えたいだけと、正確に受け取ることが大事なんです。
一人暮らしの住まいについて考えたい場合は、アラカン女性の一人暮らしは賃貸と持ち家どちらがラクなのかも参考になります。
居場所は自宅ひとつでなくてもいい

居場所という言葉を聞いた時、多くの人が家か人の輪の中かどちらかをイメージするのではないでしょうか。
家が居場所か、コミュニティが居場所かと考えますが、この二択の外にもう少し静かな居場所の形があるんですよね。
そこが重要なので、紹介していきますね。
家か人付き合いかという二択の外にあるもの
アラカン世代の女性と話していると、外の居場所を持つことへの抵抗感として、習い事は人間関係が面倒だし地域の集まりは気疲れするからグループには入りたくないういう声が出てくることがあります。
その気持ちはよくわかりますが、人の輪に入らなくても外の空間にいることはできるので、家だけにいる必要もないんです。
図書館の椅子に座って読書する、カフェで一人コーヒーを飲むだけで誰とも話さないという過ごし方でも家以外の空気を吸っているというだけで、なにか詰まっていたものが少し動くことがあるんですよね。
第三の居場所という考え方
社会学者のレイ・オルデンバーグがサードプレイスと呼んだ概念があります。
家が第一の場所、職場や学校が第二の場所、そしてそのどちらでもない、気軽に立ち寄れる居心地のいい空間が第三の場所。
ヨーロッパのカフェ文化や、昔の日本の縁側や銭湯も、この感覚に近いものだと言われています。
大切なのは、そこに仲間がいるかどうかじゃなくて、自分が落ち着ける雰囲気があって、程よく人の気配があって、でも誰かと関わることを強制されないという場所であれば、それがサードプレイスになり得ます。
コミュニティに入ることとは、全然別の話です。
居場所は作るものじゃなく見つけるもの
居場所を作ろうとすると、急に難しくなるんですよね。
何かを始めなきゃ、誰かと関わらなきゃ、という気持ちが出てきますが、居場所というのは作るというより、自分が落ち着ける場所をひとつ知っているという感覚に近いんですよね。
週に一度、あの場所に行くと気持ちが整う、あの席に座るとなぜか落ち着く、それだけでいいんです。
特別な縁を持つ必要も、常連になる必要も本当はなくて、ただそこが自分の居心地のいい場所だと知っているというだけで、暮らしの感触が少し変わってくるんです。
暮らしそのものを見直したいと感じている場合は、思い出の物で止まった後の暮らしの再設計の考え方と見直し方もあわせて読んでみてください。
家の外にも静かに過ごせる場所はある

外に居場所を持つ、といっても特別な場所に行く必要はなくて、すでに誰もが知っている普通の場所でいいんですよね。
ただ、そこが自分の落ち着く場所であるという意識を一度持つと、同じ場所でも感触が変わってくるんです。
図書館という選択肢
図書館が好きだという人は多いですが、本を借りに行くというより、あの空気が好きという理由で足を運んでいる人もいるんですよね。
静かで冷暖房が効いていて誰も話しかけてこない、一人でいることが自然な場所というのは、意外と少ないんです。
家の中にも静けさはあるけれど、図書館の静けさは少し質が違うんですよね。
他の人もそれぞれ自分の時間を過ごしていてその気配がある、孤独じゃないけれど群れてもいない、そのバランスが心地よいという人は多いと思います。
読書しなくてもいいし、新聞や雑誌を眺めるだけでもいい、ただそこにいるだけで家とは違う時間の流れ方になることがあるんですよね。
カフェという場所の使い方
カフェは、一人でいることが許されている場所のひとつで、むしろ一人客が多くて誰も気にしていないし、窓際の席でコーヒーを飲みながら外を眺めるだけで、なんとなく気持ちが動くという感覚、わかる人にはわかると思うんですよね。
チェーン店でも個人店でも関係ないし、自分が落ち着いてその場にいられるかどうか、それだけで選べばいいんです。
公園や緑のある場所
家の近くの公園をただ歩くだけというのも立派な外出になり、誰かと行く必要もないし、何かをする必要もない、ただ緑の中に少しいるだけで、頭の中にあった余計なものが薄まるような感覚があるんですよね。
これは気のせいじゃなくて、自然環境が自律神経に作用するということは、研究でも言われていることです。
温泉施設という居場所
最後に、温泉施設の話を少しだけ。日帰り温泉というのは、ただ体を温めるための場所じゃないと思っていて、一人でぼんやりできる数少ない場所のひとつなんですよね。
お湯に入っている間は何もしなくていいしスマホも見なくていい、それだけでずいぶん気持ちが緩むことがあります。
人付き合いを増やさなくても、世界は広げられる

外に出る話をすると、外に出れば誰かと話すことになるし人間関係が増えるという流れあり、人と関わることとセットで考えてしまい、それが面倒だから家にいるという人が多いんですよね。
でも、外に出ることと人付き合いを増やすことは、本来別の話なんです。
外に出ることで変わるのは「景色」だけでいい
外に出ることで景色が変わる、ただそれだけで十分なことがあるんですよね。
喫茶店の窓から通りを眺めてみる、図書館の帰りに少し遠回りして川沿いを歩いてみる、スーパーへの道をいつもと違うルートにしてみる。
誰とも話さなくていいし誰かと約束しなくていい、それでも、帰ってくると気持ちが少し違うんですよね。
家の中のことが、少し客観的に見えるようになって、あの詰まった感じが、ほんの少し緩んでいる。
景色が変わるだけで、自分の内側も動くことがあるんです。
一人でいることを楽しむ必要もない
ソロ活という言葉が広まって、一人での外出を積極的に楽しむという方向で語られることが増えましたが、楽しまなきゃいけないということでもなく、ただ出かけてただいる、それだけでいいんですよね。
義務のように感じ始めた瞬間に、外出がしんどくなるんです。
映えるカフェに行かなくてもいい、素敵な写真を撮らなくてもいい、誰かに話せるエピソードを持ち帰らなくてもいい。
ただ、自分が今日少しだけ外の空気を吸ったということ、それだけで十分だと思っています。
家が好きと外にも出るは矛盾しない
家が好きな人ほど、外に出ることへの罪悪感を持つことがあります。
せっかく家を整えたのに出かけてばかりいるというのも変だし、家にいたいのに無理して出かけるのも違うという感覚。
でも、これは矛盾していないんですよね。
家が好きだから、外から帰ってくる時間も好きになれるし、外の空気を吸うことで家の居心地のよさが更新される。
家を大切にしている人が外にも居場所を持つことは、家を手放すことじゃなくて、家に帰ってくる理由が増えることなので、外と家は対立していないし両方あっていいんですよね。
暮らしの延長線として、外の居場所を持つ考え方

ここまで話してきたことを少し整理すると、住まいを見直して片付けをして、家の中を自分に合わせて整えてきた。
その流れの続きとして、今度は家の外にも自分が落ち着ける場所をひとつ持つ、という話をしているんですよね。
大きな変化でなくていい
引っ越しのような大きな変化でなくていいんです。
旅行のような特別なことでもなくて、週に一度いつもと違う場所で少し時間を過ごす、それだけのことが暮らしに小さな流れを作ってくれます。
住まいを整えるのに、一度に全部やる必要がなかったように、外の居場所も少しずつ見つければいい。
あそこのカフェは落ち着くな、あの図書館は静かでいいな、と思える場所がひとつ増えるたびに、暮らしの地図が少し広くなっていく感覚があるんですよね。
持たなきゃいけないではなくあってもいいという感覚
家以外の居場所を持たなきゃいけないと思った瞬間に、それは義務になってしまうし、義務になると続かなくなるので、大切なのはあってもいい。
家が一番好きでいいし、家にいる時間が一番多くていい、ただ家以外にも自分が落ち着ける場所があるということを知っているという知識があるだけで、少し気持ちが楽になることがあるんです。
外に出なきゃという焦りではなく、出たくなったらあそこに行けばいいというゆとりがあるとないのとでは、その違いは大きいです。
暮らしの延長線にある、小さな外の居場所
私がいつも思うのは、暮らしというのは家の中だけで完結しなくていいということです。
家が軸にあって、そこから少し伸びた先に自分が落ち着ける外の場所があって、それが旅行のように非日常である必要はなくて、日常の延長線にある小さな場所でいい。
スーパーの帰りに少し寄れる公園や雨の日に時間を過ごせる図書館、疲れた時に体を預けられる温泉施設など、そういう場所をいくつか知っているというだけで、暮らしの感触が変わってくるんですよね。
住まいを整えることと同じように、外の居場所を少しずつ見つけていくことも、この年齢からの暮らしのデザインのひとつだと思っています。
まとめ
今回は、家の外にも居場所を持つという考え方についてまとめました。
住まいを整えた後に感じる閉塞感は、家が嫌になったわけじゃなくて、同じ空気の中にずっといることで起きる変化で、居場所は家か人付き合いかという二択ではなくて、誰とも関わらなくても自分が落ち着ける第三の場所という選択肢がある。
図書館でもカフェでも温泉施設でも、そこが自分の居心地のいい場所だと知っているだけで、暮らしの感触は少し変わってくるんですよね。
外に出ることは人付き合いを増やすことではなくて、景色を変えることで、家が好きだからこそ、外に出て帰ってくる時間も大切にできるんです。
引っ越しのような大きな変化でなくていいし、旅行のような特別な準備も要らない、暮らしの延長線にある小さな外の居場所を、少しずつ見つけていくということが、この年齢からの暮らしをやわらかくしてくれます。


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